指紋分析のミスから考える。科学的判断とは何か
- 所長のひとりごと
2004年3月、マドリード。朝の通勤客で込み合っていた列車が次々に爆破され、死者192人、負傷者2000人以上を出す大惨事となった。現場に残されたビニール袋に指紋が発見され、インターポール(国際刑事警察機構)を通じて国際手配される。数日後、アメリカ連邦捜査局(FBI)はこの指紋がオレゴン州在住のアメリカ人ブランドン・メイフィールドのものだと断定した。
メイフィールドはたしかに疑わしく見えた。元陸軍将校で、エジプト人女性と結婚してイスラム教に改宗している。退役後は弁護士をしており、タリバンに加わるためにアフガニスタン行きを試みた若者(後に有罪となった)などを弁護したことがある。こうしたわけで、もともと FBIから要注意人物としてマークされていた。
メイフィールドは監視下に置かれ、家に盗聴マイクが仕掛けられ、電話も盗聴された。これほど厳重な監視をしても、何も疑わしい証拠は出てこない。にもかかわらず FBIは逮捕に踏み切るのだが、結局不起訴となった。なにしろメイフィールドは10年ほど国外に出たことさえなかったのである。しかも彼の勾留中に、メイフィールドの指紋は現場の遺留指紋と一致しないとの連絡がスペインの捜査当局から FBIに入った。スペイン当局によれば別の人物の指紋と一致した。
2週間後にメイフィールドは釈放され、最終的にアメリカ政府は彼に謝罪するとともに、200万ドルを払って示談が成立している。当然ながら政府は、なぜこのようなエラーが起きたのか詳細に調査するよう命じた。その結果わかったのは、この誤鑑定は人為的ミスであって、分析方法や技術には問題はなかったということである。
ありがたいことに、このようなヒューマンエラーはそう頻繁には起きない。それでも、この件から学ぶべきことは多い。
なぜアメリカ最高の指紋分析の専門家が、遺留指紋をまったく別人の指紋と一致するなどと断定したのか
NOISE 下 組織はなぜ判断を誤るのか? ダニエル カーネマン, オリヴィエ シボニー, 等著
今日はNOISEという本から科学的判断の問題について考えてみたいと思います。
この本は、ノーベル経済学賞を受賞した心理学者、行動経済学者のダニエル・カーネマン氏他の著作なんですが、
「判断」というものがいかに誤りやすいか、というのをいろんな角度から論述されていて非常に参考になります。
なかでも、この話を今回取り上げたのは、我々医療現場、在宅医療現場にも類似点が多く、示唆されるところが大きかったからです。
まず、指紋についてお話ししたいと思います。
指紋の認証は、最近いろんなところで応用されています。
この話のような犯罪捜査だけでなく、スマホを使うときの認証、銀行口座の開設、出入国検査等も使われています。
指紋による認証は何となく、機械でもできるんだ、自動的に読み取るものなんだ、人の判断の要素はあまりない、と思ってしまいますが、
指紋の認証は、いろんな角度から指を当てたりしっかり押し付けたりしてかなり指紋をきれいにとっているからできるんですね。
犯罪現場に遺されている指紋は、一部だけだったり、汚れていたりしています。
だから指紋を鑑定するのは訓練された専門家が行っているわけです。
それでも、訓練された専門家であっても、
いかにもこの人は犯人らしいという情報を先にもらってしまうと、
それに引きずられて、それにあった判断をついしてしまうのです。
この人が犯人らしいと思ったら、指紋もそういう風に見えてしまうというわけです。
しかし、大事なことが2つあると思います。
1つは、「科学的」と「科学っぽい」の区別をすること
横文字を使っていて、高価な機械を使って、情報がいっぱい取れる方法が科学的なのではありません。それは科学っぽいだけのことがあります。
もう1つは、本当の科学というのは、
条件を厳密に吟味するものだということです。
私がこの話を読んだ時にすぐに連想したのが、PCR検査、それからMRI検査のことでした。
次回、その話をしたいと思います。