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伝わらない悩み 聖典古典から考える

  • 所長のひとりごと

今日のテーマは「伝わらない悩みを、聖典・古典から考える」です。

昔から伝わってきていて、今でも歴史や倫理等の教科書に出てくるような聖典・古典といわれる、
宗教や哲学を説いた書物があります。

それらを読んでいて、私が最近とても心を惹かれることは、
「どんな偉い人でも、自分の言いたいことを伝えるのは難しく、
他の人に分かってもらえない悩みがあったんだ」ということです。

まず、最初に取り上げたいのが「新約聖書」です。
新約聖書には、キリスト教徒の信仰の対象である、イエス・キリストが教えを説いていることが記されていますが、
同時にあまりその教えを分かってもらえない様子も描写されています。
有名な最後の晩餐と言われるシーンも、よくよく読めば、
いくらイエスが一番大事なことを説いても、弟子はその意味するところが分からないという話です。

次に論語。これは古代中国の孔子という人の教えを記している書物で、
孔子が弟子に教えを説いていく様子をも描いているのですが、
ここでもまた、弟子にも周囲の人にも、孔子の教えがちゃんと理解されていない、というシーンが繰り返し出てきます。
そして、孔子はずっと「あいつは分かってない、あいつも分かっていない」とぼやき続けているんすね。

聖典・古典において、今日でも崇められているような聖人がその教えを理解してもらえていない様子を、
赤裸々に描いている。そして、
それが2000年とか2500年という時代を経て、今も世の中で読み継がれているということは面白いと思いませんか?
面白いといったら怒られるかもしれませんが、すごく興味を惹かれます。

さて、最後に紹介する「真理のことば」をはじめとするお経、
これはゴーダマ・シッダールタ、通称、お釈迦様が説いた教えです。
お経の中でも、お釈迦様が、その教えを弟子や周囲の人に分かってもらえない様子が出てきます。
他の聖典・古典と違うところは、
お経には、実は、伝わらない、分かってもらえないということについて、原因から考えて対処法まで記してあります。
その点で、在宅医療現場の悩みを減らすヒントになるかと私は考えています。

お釈迦様が説いたのは、四諦という考え方。
苦諦、集諦、滅諦、道諦ですね。

まず、苦諦。これは一切皆苦。この世で起こる全てのことは苦しみの原因になり得るという意味です。
これを前回の脳のバイアスの話につなげると、
もともと人間の脳というのはみんな一人一人違います。
だから、話が伝わらない、分かってもらえないという種はそこら中に転がっています。
さらに言うなら、
自分の考えたことを他の人に分かってもらおうとすること自体が全て、
悩みの原因でもあるということを出発点としましょうということだと思います。

次回はさらに集諦、滅諦、道諦という話につなげていき、
在宅医療の現場において、伝わらない悩みにどう向き合ったらいいのかを考えていきたいと思います。

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