「きみのお金は誰のもの」から公的医療保険と往診を考える。
- 所長のひとりごと
「往診屋のReading List」では、往診や在宅医療の現場で心の支えになるような本やそのフレーズについて紹介しています。
今日ご紹介する本は「きみのお金は誰のため」2023年に田内学さんが東洋経済新報社から刊行されています。私がこの本と出会ったのは、ポッドキャストがきっかけです。Podcastに「ゆかいな知性」という番組があり、その中で「お金と経済編」を現在発信中ですが、そのパーソナリティを務めているのが田内学さんです。
このPodcast番組、非常に面白くて、お金と経済について、新しい発見をいっぱいさせてもらっています。また、田内さんのお金と経済について、これを伝えたい、伝えないと日本はまずいことになる、という情熱を感じます。
そこで、この方の著書を読みたいと思って、読み進めたのがこの本「きみのお金は誰のため」です。
お金に関する本、経済に関する本は最近特によく出ています。お金はどうやったら貯まるのか、どうやったら増えるのか、株は何を買ったらいいのか。等々。
しかし、この本はそうした他の本と一線を画しています。
この本は一言でいうと、お金というものの本質を語っている本です。
私たちは、現在何かを買うにも、何かを頼むにも、医療を受けるにもお金を支払って行っています。
つまり、お金は生活に不可欠でお金なしでは生活できません。
しかし、お金自体には価値がない、お金自体が力を持っているわけではないということを、いろんな角度から語っているのがこの本です。
簡単に本を紹介させていただきます。
ある大雨の日、中学2年生の主人公優斗という少年が、投資銀行勤務の切れ者の若い女性七海と一緒に、謎めいた屋敷に入っていったところ、ボスと呼ばれる大富豪が住んでいて、この2人に対して「お金の正体」は何か、「社会のしくみ」はどうなっているのか、を教えていくという形で展開していきます。
私実は、この本を読んでいる時、自分の書籍を発刊しようと原稿のチェックをしている時でした。結構本業が忙しくて、夜中に往診して帰ってからまた原稿の直しをやっていると、嫌になってきて、もうやめようかとか、校正ももうこのくらいでいいかとかいい加減になりそうだったんですが、叱咤激励してくれたのがこの本でした。
お金、経済の本質について今伝えないと日本はまずい。という著者の情熱を感じました。自分はとうていそんなレベルには至っていないんだけれども、自分も往診や在宅医療の現状を伝えないといけないと思い直しました。
往診屋的読み方をした箇所を2つ挙げてみたいと思います。
1つは、古いお札は燃やして捨てられているという話です。
日本では毎年30兆円分の紙幣が焼却されています。30兆円分の札束というと300kmの高さになるそうです。古い紙幣の焼却は日本銀行がやっていることですが、当然日本国という国家が後ろ盾としてあるからこんなことができる訳です。燃やしてしまうことのできる、ただの紙切れにこんなに力を与えられる国家というのは凄い存在だと思わされました。
我々医療人にとって、強力な国家の後ろ盾があって成り立っている制度といえば公的医療保険制度です。日本は国民皆保険制度といって全国民が医療保険に入っているのみならず、全てに近い医療機関がこの医療保険制度を使って医療を行っています。そして、患者さんは3割の負担で、人によっては1割や2割、あるいは一定額で医療を受けることができる仕組みとなっています。
私が行っている往診、在宅医療もこの公的医療保険制度に乗って行っています。国家の後ろ盾があってやれているものです。
もう1つが、この本で出てくるボスが、主人公である中学生の優斗少年に、「優斗君の家では、突然やってきた知らないおじさんに、トンカツを食べさせてあげるんやろ」と聞く場面です。注釈すると、優斗少年の家はトンカツ屋をやっています。
知らない人にトンカツを食べさせる、これはお金というものがあるからできることなんですね。お金というのは、知らない人同士が取引をして支え合うための道具だとボスが教えていきます。
私の診療でも同じようなことが起きています。
私の診療所には、時々全く見たこともない初めての方から、「往診してくれませんか」という依頼があります。そうした依頼に応じて行くこともしばしばあるのですが、それは、患者さんが公的医療保険に入っていて、こちらもおそらく患者さんが公的医療保険に入っていると信じている。
そして同時に私の診療所も公的医療保険を使って医療を行うことができて、また患者さんの方も私の診療所が公的医療保険を使って往診するだろうと信じているからできることなんです。
日本だと当たり前のようになっていますが、これは当たり前ではありません。私も全ての国の医療制度を知りませんので、正確なことは言えないのですが、私のような民間の(私立の)医療機関が、患者さんの自宅に行って医療行為をして、それが公費で賄われるということが成り立っている国は他に知りません。
私は1月にカンボジアに救急医療のトレーニングに行ってきましたが、カンボジアの医療者には想像のつかない制度である、と聞きました。
ここで、私はこの本を読みながら、民間の(私立の)医療機関が、患者さんの自宅に行って診療するという、極めて私的な、Privateな行為が、国家が後ろ盾となってカバーされていることの意味を考えました。他の分野でも、私的な売買行為に公的な補助が出ることはありますが、ここまで堂々と当たり前のようにやっていることは他にないと思います。その意味は何か。
私は、社会を回すためだと考えます。地域社会を少しでも豊かに、幸福に回すことができるように、だと考えます。
コロナ禍の時に、まさにそのことを実感する往診場面がありました。
ある時は、コロナウイルス感染症にかかっていて、呼吸困難になっている患者さんからの往診依頼がありました。検査してコロナ抗原陽性だった。SpO2という血中の酸素濃度は下がっている。でも県内の病院のコロナ対応病床はもう埋め尽くされていて入院はできない。そうした患者さん宅に往診して酸素療法を開始し、毎日点滴しに訪問したことがありました。
またある時は、腹痛と発熱を訴える患者さんからの往診依頼もありました。熱があるというと外来では診ることができないと断られてしまったといいます。往診して、コロナウイルスの検査をして陰性であることを確認し、超音波検査で胆嚢炎だと診断し、救急病院に連絡して救急車で搬送したこともありました。
コロナ禍は、がん等の重篤な病気が進行した患者さんにも苦しい時期でした。コロナ禍の時、ほとんどの病院は家族のお見舞いや付き添いを制限していました。家族に会えない状況が辛くて退院した方、入院中にせん妄になったり認知症症状が悪化して治療を断念した方、点滴やドレナージ等の治療中にも関わらず入院病床の逼迫のため早期に退院した方等がいました。
これまでにない往診パターンが増えました。社会を回すために、地域医療を回すために、公的医療保険を使って往診するという行為が必要なのだと思いました。往診という治療場所による限界、自分の能力不足による治療の限界もありました。でも、何とか地域を回すためにやっていきたいと思いました。
往診というのは、最近のはやりの言葉のコスパ、タイパからいうと非常に効率が悪い行為です。外来や入院の医療に比べると時間もかかるし、コストもかかる。でも、公的な医療保険で賄われているありがたさを感じながら、続けていきたいと思います。
お金という道具は、皆で支え合うための道具です。お金があるから知らない者どうしでもやりとりをして少しでも豊かに、幸せになれる方法を模索することができる。公的な医療保険制度もそうです。
私など本当に微力ですが、地域社会を円滑に回すために、地域の方が少しでも豊かに過ごせるために往診を続けていきたいと思っています。